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横浜ウォッチャー

All About横浜 ガイド・タナベのブログ。横浜で見た・聞いた・食べたことをさくっと綴ります。

ラー博・かもめ食堂が卒業前に「気仙沼」をPR

新横浜ラーメン博物館(ラー博)に出店している、気仙沼かもめ食堂」が4月5日に卒業することが発表されました。卒業後は7月をめどに、気仙沼での開店を予定しているとのこと。ラー博では、3月6日から卒業までの1ヵ月間、気仙沼をPRする「気仙沼の笑顔ウィーク」と題し、気仙沼の美味しいものが味わえる「気仙沼酒場」、帰郷メニュー「さんまラーメン醤油味」の販売、気仙沼の物産販売コーナー、特別展示などが行われます。

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▲ラー博 館内は気仙沼の港の雰囲気でいっぱいに!

 

もともと「かもめ食堂」は気仙沼で誰もが知っているシンボル的なお店で、2006(平成18)年、後継者不在のために閉店後、建物はそのまま残されていました。が、東日本大震災津波によって全壊してしまったのです。

かもめ食堂」を気仙沼で復活させようと尽力しているのが、ラーメン店「ちばきや」の店主・千葉憲二さんです。
※2012年2月のラー博での出店については、当時のブログで紹介いたしました。→こちら

 

3月6日に行われた記者会見では、千葉さんをはじめ、ラー博・岩岡洋志館長、気仙沼市出身の小野寺五典元防衛相、気仙沼商工会議所・菅原昭彦会頭が登壇。「かもめ食堂」にまつわるエピソードや復活にかける思いなどを発表しました。千葉さんをはじめ、登壇者のお話にたいへん感動したので、書きとめておきたいと思います。長文ですが、よろしければ、お付き合いください。

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気仙沼の笑顔ウィーク 記者発表会のようす

 

■ラー博の「かもめ食堂」を通じて「気仙沼に行こう」という方が増えて欲しい
ラー博・岩岡洋志館長(談)

千葉さんは気仙沼出身で、震災後に救援物資を積んだトラックで駆け付けたり、炊き出しを行ったり、積極的に支援されていました。また、震災後すぐに「かもめ食堂」を復活させようと尽力されていました。気仙沼で知らない人はいない「かもめ食堂」を復活させることで心の安らぎや希望になり、地元での就業の場になるのではと、考えたそうです。が、地盤沈下などの影響もあり、すぐには出店できませんでした。

ラー博でも震災後、何か復興のお手伝いをしたいと考えており、千葉さんのその話を聞いて「ラー博で3年間、出店しましょう。“かもめ食堂”について広く知ってもらい、その後、気仙沼にお店を出されては」と提案しました。おかげさまで、2015年2月末までに(かもめ食堂では)37万3146杯のラーメンを販売、卒業までには38万杯に到達するでしょう。ラーメンを通して、「かもめ食堂」を知っていただけただろう、と考えています。

当初の予定通り、今年の7月に気仙沼に出店できる目途が立ち、4月5日にラー博卒業が決まりました。そこで、卒業までの1ヵ月間、ラー博全体を気仙沼色に染めて、気仙沼をPRし、少しでも「気仙沼に行こう」という方が増えることを期待してます。小さなことかもしれませんが、街の復活のお手伝いになれば、と思います。

そして、「かもめ食堂」はキーポイントとなり、活躍してくれると信じています。

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▲ラー博・岩岡洋志館長

 

■ラーメン店主としての原点は「かもめ食堂」。気仙沼で必ず成功させたい
「ちばきや」店主・千葉憲二さん(談)

かもめ食堂」は、私の原点ともいえる、初めてラーメンを食べた店です。ラーメンだけでなく、カレーもあり、親子丼もあり、まぁ、よろず食堂です。小学校低学年のころまででしょうか、今は移転しましたけど、あの辺りは活気ある市場だったんですね。それで、河岸に来た人たちが食事をする、そんな店でした。ウチは水産業を営んでいましたから、オヤジに連れていってもらったんですね。「中華そば」と書いてあって、それはどんな味なんだろうなと。

かもめ食堂」は、おばさんふたりで切り盛りしていたんですが、笑顔、あったかさを感じさせてくれる店でした。大学を卒業して、日本料理店で修業をして、ラーメン店を経営するなんて思ってもいなかったんですが……、呑んだ後の〆にラーメンを食べたり、1杯のラーメンに並ぶ姿を見たりして、「1杯のラーメンでお客さまを満足させられる。笑顔にできる」と。これはボクの性格に合っているのかなぁと思って、今に至ります。

で、「かもめ食堂」というのは、ボクにとっての原点と言うか、哀愁・郷愁の思いというのが、非常にありまして。今思えば、たいした味ではないのでしょうが……、初めて食べたラーメン、親に連れていってもらったラーメン、おばちゃんが作ってくれたラーメン。そういう思いが“今”に生きている。それは「ラーメンの力」ではないかなと。

ボクはいま63歳で、ちょうど震災の年が還暦の年でした。気仙沼では毎年、還暦を祝う会があって、全国各地、離ればなれになった同級生たちが集まるんですね。ボクたちを待っていてくれて、いろいろなイベントを企画してくれる、結束力ある街なんですね。2011年は250名の同級生が集まりました。

普段は夜11時になると真っ暗になる街なんですが、その日は朝4時5時まで店を開けてくれて。同級生たちと酒を飲みながら、昔話に花を咲かせて。で、朝へろへろになって。「70歳でまた集まろうな」と。そのたった2週間後に震災が起こりました。

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▲「ちばきや」店主・千葉憲二さん

 

なかなか連絡がとれなくて、ようやく連絡が取れたのが2週間後でした。気仙沼津波や火災で被害に遭ったのをニュースで見ながら、「生きていられるんだろうか」「ダメだろうな」と、あきらめていたんですね。実家がありますんで、何とか連絡が取れて、家族は無事だったんですが……同級生は2人亡くなったと聞いて……。

皆、着の身着のままで逃げて、とにかく何にもないということで、こちらにいる同級生とトラックで救援物資というか、衣類を運んでいったんですね。そこで、気仙沼の街が一転して、すべてなくなったのを見たんですね。SF映画のようでした。方向もわからなくなるくらいの。言葉がでませんでした。もう絶句。

私にできることはないだろうかと、せめてあったかいものを食べてもらおうと、3回、炊き出しに行きました。そこで「かもめ食堂」をもう一回、復活させたいなという気持ちが高ぶったんですね。

しかし、屋台村は被災された方々がお店を出されているし、先ほど館長もお話しされたように、地盤沈下で盛土をしなければダメだとのことですし、「かもめ食堂」を出せる状況ではありませんでした。2kmぐらい離れた場所に丘があって、そこならすぐに、という話も出ましたが、「丘の上じゃあ、“かもめ”じゃなくて、“からす”になっちゃうよなぁ」と。いろいろ思い悩んでいた時に、館長からラー博への出店の話をいただきました。身に余るお言葉というか、感謝というか、そんな思いで3年の月日が流れていきました。

おかげさまで「かもめ食堂」で笑顔になって帰ってくださるお客さまが増えて、「いつ気仙沼に出店するんですか」「いつ卒業なんですか」と聞かれるようになって。期待されている以上、私どもは和食の店もやっておりますから、気仙沼の、せっかくいい素材があるのですから、おいしいものを、もっとラーメンのレベルを上げていって、気仙沼を訪れた方々に「ああ、気仙沼はいい街だったね」と言っていただけるよう、がんばっていきたいと思います。

3年間、ラー博に出店させていただいたご恩は、一生忘れません。必ず、気仙沼で成功させるよう、努力してまいります。

 

気仙沼の「かもめ食堂」は私たちの心のふるさと
小野寺五典防衛大臣(談)

なぜ私がこの場所にいるのかと言いますと、気仙沼出身で、初めてラーメンを食べたのが「かもめ食堂」なんですね。私の家の斜め向かいにありました。憲二さんがお話しされた「ふたりのおばさん」のうちのひとりは、小学校の同級生のお母さんです。その子と学校から家に帰ってきて、よくラーメンをごちそうしてくれましてね。私にとっても思い出深い店なんです。この(ラー博の)看板を見ると、子どものころの看板、そのままであります。気仙沼に帰ってきていただいて、私どもの心のふるさととして、これからも支えになって欲しいと思います。

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小野寺五典防衛大臣

 

■精神面を支えてくれる「かもめ食堂」の復活
気仙沼商工会議所・菅原昭彦会頭(談)

私も前防衛大臣と同じく、この界隈に住んでおりまして「かもめ食堂」はすぐそばだったんです。一日2食、食べていたこともあります。看板を見たとたん、懐かしさが込みあげてきました。これからの気仙沼の新しい街づくりに、うまくかみ合っていかないかなぁ、とそんな思いでおります。3年間、ラー博でたいへんお世話になりました。館長には、気仙沼に足を運んでいただいて、また、「かもめ食堂」を通じて気仙沼のPRをしていただき、感謝の思いでいっぱいです。

間もなく震災から4年が経とうとしています。気仙沼は仮復旧から本復旧に差し掛かったところなんですね。8人にひとりの方が仮設住宅に住まわれています。まだ、ほとんどのところが仮設商店街です。区画整理や土地のかさ上げが思うように進んでおらず、元の場所に戻れない。そのような状況が続いております。「復興」というのは、どこの話かなぁ、とそんな気持ちもあります。

一方で、私たちの新しい街づくりも描き始めております。気仙沼の将来像ということで、これは民間の方が作成したものなんですが、不思議なことに、この方が描いた絵がそのまま進んでいくような感じになっています。

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今後、三陸自動車が開通したり、気仙沼に大きな橋がかかったり、大きな被害を受けたところに盛土をして団地ができていったり、すばらしい環境になるのだろうなぁと思っております。ハード面では近代的なものが出来上がっていくのだろうなぁと。

ただ、気を付けていきたいのが、自分たちが生まれ育った風土・歴史・文化といったものを忘れてはいけないんじゃないかなと。つまり精神性は継続させていきたいなと。そういったソフト面は民間が主導で進めていく必要があると。「かもめ食堂」のようなものが復活してくれたら、私たち、生まれ育ったものにとってはたいへん心強いことです。懐かしさや歴史を感じることができるのではないかな、という気がしております。

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 こちらは内湾エリアのイメージイラストです。「かもめ食堂」があったエリアになります。震災から4年が経つのですが、区画整理事業を進めていて、まだ更地にもなっていない状況です。できれば「海辺の街」として、気仙沼は日本で唯一「スローシティ」に認定されておりますので、あたたかさや手作り感、港町としての歴史や文化を感じさせるような街、歩いてやさしい街づくりを模索しながら、整備を進めております。

将来像、夢ですので、このままいくとは限りません。が、夢を描きながら進んでいくのがいいのだろうなと思っております。以前の「かもめ食堂」とまったく同じ場所というのは難しいですが、何とか、近くに場所を取得してもらって、復活してもらいたいなと思います。気仙沼のことをよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

 

気仙沼かもめ食堂」帰郷メニューについて(千葉さん談)

10年前くらいに、ラーメンフォーラムというのがあって、気仙沼のラーメンを作ったことがあります。ホタテが入ったり、ワカメが入ったり、どうしても海鮮ラーメンみたいになっちゃうんですよね。そこには「気仙沼らしさ」はあるのだろうかと疑問を抱いた経緯がありまして。

気仙沼はサンマの水揚げが日本一ということで、サンマの香りをいれようと。ですが、私たちの(懐かしさを感じる)ラーメンというのは、鶏と煮干しのスープなんですね。どこでサンマの香りを出そうかと考えたときに、サンマの香り油を使おうと思いつきました。

そのラーメンを「かもめ食堂」のラーメンとして復活して出したいという話を、館長と一緒に、店主さんのところにお願いに行きました。幼少期のころのことを覚えていてくれて、「こんな店でよかったら」と、継承の了承をいただきました。「私たちの代で終わりですから」と。

実はそれ以前から仲間うちで「千葉ちゃん、かもめ食堂を継げよ」と言われたこともあって、その時は聞き流していたんですけれど。震災後にその言葉が蘇えりましてね、決めました。

店主さんにはラー博に出店した際にご招待したんですけれど、丁重にお断りされたんですね。でも、お花をいただいたので、喜んでいただけたのだろうと思っています。気仙沼に帰ったら、ぜひ来ていただいて、ラーメンを食べていただきたいですね。

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「帰郷メニュー」とはどんなラーメンなのか? 「気仙沼酒場」のメニューは? 次の記事に続きます。


ラー博・気仙沼「かもめ食堂」の帰郷メニューってどんな味? - 横浜ウォッチャー